morgennebel:

芸術行為において、私たちは勝手気ままな自己表現を競っているのではなく、いわば死者たち――そして未だ生まれていない者たち――のまなざしの中に、みずからを置くという経験をしているのだ。

吉岡洋「死者のまなざしの中にみずからを置くこと」『アルテス』

(元記事: morgennebel (morgennebelから))

2017年末状⑥

2017年末状⑤

2017年末状④

2017年末状③

2017年末状②

2017年末状 ①

ほぼ日刊イトイ新聞

・「君は君だよ」とSMAPが歌っていた。「だから誰かの望むように生きなくていいよ」と続く。

1993年当時の彼らの声で、この歌が聞こえてくると、酸っぱい香りのなつかしさだけでなく、この歌に励まされていた少女たちのことを考えてしまう。おそらく、女の子たちは、もうおばさんになってる。20世紀が終わるちょっと前の時代に、かっこいいアイドルに「君は君だよ」と言われて、「そういうふうにいよう!」と決意した彼女たちは、あれから四半世紀も経った2017年になって、「君は君だよ」なんか要らなくなっているのだろうか。いや、そんなことはないよなぁ。おかあさん役がたいへんだったとしても、仕事で苦労が絶えなかったり、体形などが思うにまかせなかったとしても、そういういまにこそ、「君は君だよ」が必要なのだ。

君が君でなくて、どうなったらいいというのか。完全無欠であるはずもないし、できることも、それほど多くもない。ときには愚図で、かなりの時間はいいかげんでいて、いいところもなくはないんだということを、ワタシと、少しばかりの人たちが知っていてくれる。およそ、そのくらいの感じで生きている「君やぼく」が、その君の望むように生きられるといいね、と。大人になってからのほうが言われたいことじゃないか。

もしかしたら、笑われるかもしれないけど、おそらく、「君は君だよ」は、50や60どころか、70歳になっても80歳になっても、ときどき確かめたいことなんだと思うよ。たいていの人が、立場になったり、役になったり、混雑になったり、大衆というものになったり、それはそれで必要なことだってあるとは思うのだけれど、すべての元にあるのは、「君は君だよ」であるはずだ。

そうそう、その妙なポーズで走り出す。そうだ、そのおもしろくもない冗談で笑ってる。その君のままで、日々を過ごせないものだろうか?

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。 おじさんやおばさんは、あきらめないことで見本となれる。

"私たちは、調査対象の当事者になりかわったり、その人生を「直接」理解することはできない。でも、「そういう状況なら、そういうことするのも仕方ない」という記述を重ねることで、私たちは当事者の「横に黙って立つ」ことはできるかもしれない。私たちは当事者そのものになることはできませんが、その隣人になら、なることはできるかもしれないのです。"

http://www.ohtabooks.com/at-plus/entry/12443/index_4.html (via sollatowalk)

yosukeyamaguchi423:

toi toy toi
“Chant”
illustration / design

伊藤真澄、コトリンゴ、Babi、良原リエによるトイピアノカルテット、toi toy toi の “Chant”〈Lantis〉(TVアニメ『アリスと蔵六』EDテーマ)のアートワークを手がけさせていただきました。